備前焼の魅力探求
「土と焔の芸術」といわれる備前焼……
備前焼をはじめ、上釉を用いない焼締陶は茶褐色になりやすい。
その多くは鉄分などを含む腐植質の粘っこい土が堆積したからだろう。
丹波や越前、そして全国の焼締陶のほとんどが茶褐色をしている。ところが、同じ茶褐色の焼締陶のなかで備前の陶芸界だけはすでに四人の人間国宝を生んだ。六古窯をはじめとする他の焼締陶の産地より、備前の陶芸家の数は断然多い。なぜ、それほどまでに備前の焼物は人々を引き付けてやまない魅力があるのだろう。
古備前 甕の陶片
備前焼は古墳時代の須恵器を礎にして綿々とその伝統を守っている唯一の焼物である。
平安の中頃から全国各地は戦乱つづきで農民は農地開拓が進まず苦しんでいたが、ようやく、武家社会となった頼朝の鎌倉時代、農業が発達した。これを起因として全国にある窯場では、どこも同じように農民の日用雑器としての「壺、甕、擂鉢」という“三種の神器”の必要性が生れ、この需要とともに本格的な焼物を焼成するきっかけとなっていく。
この時代にはどの窯業地でも、須恵器から伝授されたロクロを使わず、農民みずからの手で必要性をもって作ったため、粘土を紐状にして積み上げる原始的ともいえる紐造りで制作している。当然、上手に作ることよりも生活に密着する丈夫さを優先させたから甕や壺などの造形は左右対称にはしないおおらかなものだった。
ここまでは他の焼物と同じ様な歩みであった備前焼だが、大きな変革がもたらされた。『備前焼の三大革命』ともいえそうな改革であった。
第…