ヨモギ蕎麦、そして有平糖で一服

今年もヨモギが道端に生えてきました。 新芽を積んで湯がき、純白の更科粉に打ち込みました。 変り蕎麦の中では、「ヨモギ蕎麦」が一番好きです。 ヨモギ蕎麦 お客様用のヨモギ蕎麦黒田泰蔵の白瓷高台皿に盛り付けてみました。蕎麦猪口は古伊万里です。 有平糖で一服 「有平糖(アルヘイとう、ありへいとう)とは、砂糖を煮て作られた飴の一種であり、南蛮菓子の一つである。金平糖と共に、日本に初めて輸入されたハードキャンディとされている。阿留平糖、金花糖、氷糸糖、窩糸糖とも呼ばれる。」とあります。京都の小さなお菓子屋さんで作られた有平糖をいただきましたので、自然坊の斑唐津茶碗で一服です。 魯山人「大雅堂」・「美食倶楽部」発祥の地  魯卿あん‥‥Rokeian 〒104-0031 東京都中央区京橋2-9-9    TEL: 03-6228-7704 FAX: 03-6228-7704 営業時間:11:00~18:00 Email:rokeian-kuroda@jupiter.ocn.ne.jp 黒田草臣 BLOGはこちら しぶや黒田陶苑のホームページに戻る   辻岡正美様の撮影

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丸田宗彦の歩み ‥‥ 独立築窯三十周年記念展

丸田宗彦 … 開窯三十周年によせて  開窯されて30周年を迎える丸田宗彦の生まれ故郷は民芸陶の里・黒牟田である。 ご祖父は、昭和四年から黒牟田焼の再興に力を注いだ丸田寅馬(明治三十四年生)。 そのあとを継いだのはご尊父の丸田正美(大正十四年生)である。 昭和十七年、佐賀県立有田工業高校窯業科を卒業してのち、昭和二十五年、益子の濱田庄司に師事して、わずか二か月ながら民芸陶の力を熱心に学び取られた。黒牟田の伝統技法に、益子で会得した塩釉などを個性豊かに加味して民芸陶黒牟田焼を確立されて日本工芸会正会員となられ『九州民芸陶の雄』といわれた方である。 得意の塩釉の鉄砂呉須のほか、鉄絵を施した藁灰釉や黒流描文、刷毛目、辰砂、伊羅保釉などで扁壺や大鉢を作られていたが、昭和五十四年十二月に五十四歳の若さで亡くなられた。 正美の次男・丸田宗彦が高校三年生の時であった。翌年、宗彦は高校を卒業後、ご尊父の逝去の悲しみを抱きながら陶芸家を目指し、一人険しい道を選んで栃木県の益子へ。バナード・リーチ工房で修業された浜田庄司の三男・濱田篤哉に四年間も師事され、見聞を広めてきた。 子供の頃から裏山の雑木林にある古窯址の物原が遊び場だった。 そこには、桃山時代から江戸時代に朝鮮陶工の帰化人が窯煙をあげた錆谷や山崎など古唐津の陶片がザクザクあったという。 益子から黒牟田に帰った宗彦は、手始めに古窯址を巡って良土を探し歩いた。二年後、結婚と同時に古唐津再現を目指して武雄に三袋の登窯「内田皿屋窯」を築窯…

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『大藝術家 北大路魯山人展』 … 魯卿あん

ここ東京京橋も2020年に向けて再開発が進み高層ビルの建設ラッシュです。 昨秋、32階建て 1フロア820坪のエドグランが京橋駅に隣接して完成しました。 それでも 魯卿あんがございます東仲通りは静かな街並です。 今年も4月14日(金)-15日(土)に 『数寄です、美術の街 東京 アート アンティ-ク』が日本橋・京橋を中心に開催されます。 こちら魯卿あん では 2017年4月10日(月) より22日(土) まで 『大藝術家 北大路魯山人展』を開催させていただきます。 ぜひお出かけいただき、ご高覧くださいませ。 むさしの鉢 『大藝術家 北大路魯山人展』図録文 北大路魯山人先生が「魯卿」と名乗り始めたのは、大正5年(1916)の33歳になった時です。 岡本可亭の書生となって以来、唐代の「顔真卿」(顔魯公) に傾倒しておりました。 「魯」とは愚か、大ざっぱで間が抜けていること。その「魯の字が好きだよ」と『魯卿』と名乗っています。 翌年には、神田駿河台のシンボルでもあるニコライ堂(東京復活大聖堂教会)の鐘の音が心地よく聴こえる紅梅町の借家に「古美術鑑定所」の看板を掲げて、書と篆刻の仕事もしておりました。 鎌倉に越したのは大正7年のことです。アジサイ寺といわれる明月院の門前にあった高梨家を借りました。谷川に架かる石橋を渡った茅葺き屋根の田舎家と納屋のような小屋があり、ここに「北大路魯卿」の表札をかけました。 夏になると好物のスイカを谷(ヤツ)で冷やし、家…

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