三輪和彦‥‥「エル・キャプタン」

鮮烈な感性に会話が広がる三輪和彦先生の白萩 三輪家の家伝によれば「永正年間(1504~20)、大和の国三輪の里の住人・源太左衛門を祖先とする」という。 元禄十五年(1700)藩命により京へ上り、楽一入と交流を図って楽焼を習得し、その後、四代休雪も修業のため京都へ上り、高麗茶碗に包み込む和風化を取り入れて三輪家の礎を築いた。 不走庵 三輪窯 三輪和彦先生は 「物心ついた頃から十代休雪(休和)の仕事振りを見ていた。昔は家族総出で色々の仕事をやっていた。休和の両の掌の中の土が生命を帯びたモノに変って行く様を思い出す」と言っている。 休和先生は明治期より苦境に立たされていた萩焼を見事に立て直され、古萩にはみられない独特の存在感を示した造形力とともに『白萩』を創始し、茶陶そして鑑賞陶芸としての萩焼の地位を高められた “萩焼中興の祖”であった。 さらにご尊父の十一代休雪(壽雪)先生は、轆轤に頼っていた花入や水指、喰籠などを土の塊から刳貫いて制作された。また「これぞ鬼萩というのをやってみよう」と、萩の荒々しい土を使った「鬼萩茶碗」を圧倒的な存在感で創りあげ、ご兄弟で重要無形文化財(人間国宝)となられている。 三輪和彦先生白萩の釉掛け 和彦先生中学一年の夏休み、京橋にあった東京近代美術館で開催されていた「現代国際陶芸展」(1964年)で観たピーター・ヴォーコス(1924– 2002)の白い皿に圧倒されたという。 ヴォーコスはアメリカ現代陶芸の旗手、陶芸の常識を覆すダ…

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