田中佐次郎 … 心豊かな人間性も投入
なだらかに起臥している山脈(やまなみ)と鏡のようにおだやかな玄海の潮(うしお)が望める海抜700メートル山頂の山瀬‥‥
この自然風光を独り占めにする陶匠は、陶も禅も掌中の珠だと諦観する禅者の境涯を持っている。
それは世俗的な名利に囚われず、枯淡の域に徹底しているからだろう。
唐津石はぜ茶盌銘「朝まだき」
唐津の常楽寺の境内に窯を築いた数年後に先生をはじめてお訪ねした。
当時の唐津陶芸界にあって、希少な俊雄として向後を背負う作陶家だと直感した。
永平寺の教義を尊奉する先生は終始ものごとを善意の目で貫き通され、啐啄(そったく)の機(き)そのままに、辛抱強く精進され、窯焚には全神経を傾注する。その窯炎のなかに渦を巻きあげる転廻(りんね)転生(てんしょう)の光焔が格段と輝く天意をも掴み取られたのだ。
唐津片身替茶盌銘「立弁慶」
行動力は作品に反映する。精進潔斎(しょうじんけっさい)して心身の遍歴を重ねた心念のもと、山瀬の山肌を覆っている土を掘りだし、土の感触からそそられた感興のままに轆轤を蹴る。
その茶盌の立ち上がりは生気溌溂、口作りは歯切れのよく、高台は逞しく小気味よい。さらに焔の洗礼を享けた色沢は滋味掬すべき深い味わいが窺(うかが)えて私たちを強く惹きつける。
茶陶の極天は侘びの境地。終生かけてやり通す情熱もさることながら、自己陶冶を推し進められ、神気をも味方にした覇気が漲(みなぎ)り、より深く茶味を漾(ただよ)わしている。
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