魯山人と古美術
魯山人の蒐集した古美術品は時とともに展がりをみせ、総数は五千点を上回っていた。そのひとつひとつが、新鮮なひらめきを大切にする創作上、そこから蝕知される手段は魯山人にとってはもっとも重要なものだった。すでに書家として硯をはじめとする文房四宝には拘っていたが、魯山人の修業時代、各地で食客となって古美術品の鑑賞によって鋭い審美眼を養いながら、実際に使用する茶道具、また料理における食器の役割の大切さを、制作するだけでなく使う楽しみとともに実践していったのである。 魯山人作 そめつけ竹鉢 蒐集の第一歩となったのは、23歳の時だった。明治38(1905)年、日本橋檜物町にあった帝国生命の文書係に就職した時のこと。京橋の東仲通りにあった古美術店でギヤマン紅切子鉢に魅せられた。それは三円五十銭、月給に匹敵するものだったが、無理して三回月賦にしてもらって手に入れ、会社の昼時に、純白の豆腐をこの鉢に入れて、美味そうに食べた。魯山人作 備前土ひだすき大鉢「昔から物は好むところに集まるとさえ言われている。眼のある所に玉が寄る…という諺もあるではないか。僕は二十才の頃から縁日その他で小さいものを少しずつ集めた」といい、大正5年には神田駿河台で『古美術鑑定所』を設け、さらに大正8年には京橋に古美術品を販売する『大雅堂』を開店させた。昭和6年、会員同志が愛蔵の古美術を持ちよって鑑賞する親睦会『洞天会』を星岡茶寮で発足させている。星岡茶寮の会員に茶寮内で各々茶席を持たせ、茶器は茶席で実際に使い、持ち寄った食器は会食の折りに料…