曜変天目
中国の故宮博物院は一九五〇年代以来、中国各地の古窯址を調査している。とくに浙江省の徳清窯・越窯・台州窯武義窯・龍泉窯などを重要視した。そして一九七七年、武義窯古窯址で「窯変藍釉碗」の陶片一点が採集されたという。 その古窯址を私が訪ねたのは今から四〇年ほど前のことである。そこは天目の里・蘆花坪古窯を思わす広大な斜面に福建省の建窯同様に数基の龍窯址があって、夥しい天目茶碗の破片や匣鉢などの窯道具で小山が幾つも築かれていた。ほとんどが「烏盞」といわれる黒釉の陶片ばかりが目についたが、漆黒の釉面に曜変光彩が出ている天目陶片もあった。 天目茶碗のメッカは建窯。福建省付近にある龍窯の数は百を越えるという。水吉鎮後井村及び池中村(水吉窯)には十一基の「建窯」古窯跡があり、高さ十数メートルの物原は十二万平方メートルの広さがある。大路后門の龍窯は長さ一三五・六メートル、一回で二、三万点の天目茶碗が焼成されたといわれるが、そのようなスケールで焼かれた天目茶碗の中に「曜変天目」といわれる曜変光彩が出たものはわずかである。 日本の国宝となっている三点の曜変天目茶碗、その産地といわれている建窯などで曜変のでた陶片は発見されていない。曜変天目が伝世していない中国では二〇〇九年末に杭州市内の古城跡地から曜変天目の陶片が発見されて大騒ぎとなった。二〇一二年五月に南宋官窯博物館の鄧禾頴館長が発表し、日本ではこの十一月、大阪市立東洋陶磁美術館の小林仁氏が『陶説』にて発表され、昨年は特別展「天目―中国黒釉の美」を開催している。こ…