八十の心音 ‥‥ 島村光展

明治の末から大正にかけて、土管を造るなど窮地に追い込まれていた備前焼‥‥煎茶の流行が備前を救うこととなる。庶民にもおよんだ煎茶器の需要とともに手造りの宝瓶(泡瓶)などが多く造られた。 三村陶景(明治18年生)、西村春湖(明治19年生)、初代大饗仁堂(明治23生)金重陶陽(明治29年)、初代小西陶古(明治32年生)、石井不老(明治32年生)、初代松田華山(明治35年生)、伊勢崎陽山(明治35年生)などの名工(デコ師)が登場している。 とくに陶陽は鳥獣や人物を意匠にした香炉、置物などの細工物や煎茶器一式を造り、早くも20才の頃には『名工』と呼ばれた。なんと26歳になって備前で初めて宝瓶を制作、備前に宝瓶ブームを起したといわれている。 宝瓶(泡瓶)とは把手の無い急須のことで、そのまま手で握って茶を注ぐ。備前の手造り宝瓶は、玉露や煎茶を美味しく飲むには最適といわれる。その理由は‥‥備前の土はもっとも水を好むやきもである。水を旨くすると定評があった。宝瓶(泡瓶)を使ってみる。焼締陶(炻器)ゆえに注ぎ込んだ茶葉と温めの湯が掌に伝わってくる。左の掌におき、右手で摩る。備前土の感触がよい。煎れ終わっても摩っていたいほど。泡瓶 №47w8.3 7.5  H7.8cm 2004年「はつがま −泡瓶−」、2006年には「六十三の心音」に続いて3度目の『泡瓶展』には、傘寿を記念した作り手・島村光が心を込めた”心音”80点の登場である。思いがしっかり発酵するのを待って一気に作り上げた泡瓶の数々‥‥一般の手造り宝…

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