2020 作陶40周年を迎える宗彦唐津
もう40年も前のことになった。
この1980年はオリンピックをボイコットした年でもある。
この年、高校を卒業した丸田宗彦が、民芸陶の父ともいうべき浜田庄司の三男浜田篤哉に弟子入りした。
4年間の修業を終えて故郷の黒牟田に帰り、黒牟田焼の父丸田正美のもとで作陶をはじめた。
昭和62年9月に唐津の古窯址が点在する武雄で「内田皿屋(うちださらや)窯」を築窯して独立した。
現在は一気に1300度まで薪をくべ、一昼夜半の窯焚を年に7~8回のペースで斑唐津や朝鮮唐津、粉引を主力に焼成している。
梅華皮や奥高麗、高麗茶碗など奥深い釉調の本質を突き詰めるため、ゆっくり温度をあげ、ゆっくり冷ます穴窯が不可欠と考え、
地名をとって「皿屋川登(さらやかわと)窯」を築いた。
効率の良い登窯に頼ってきた唐津では珍しい半地下式穴窯で、年に2度、この小さな窯を3昼夜必死に焚いた。
それから、はや20年が経過した今年、作陶40周年を迎えた節目の年となった。
新作の奥高麗茶碗を手にとってみた。質感が今までの彼の作品とまったく違うのに驚いた。
土も釉も新たに開発したのだといわれ納得した。
今まで内田皿屋、小峠、川古、錆谷、百間、黒牟田、祥古谷などの地元武雄唐津の古窯址をはじめ、
初期唐津の宝庫・岸岳諸窯や山瀬、佐里、櫨の谷、藤の川内。
そして多久高麗谷窯、甕屋の谷・焼山・道園・阿房谷・市ノ瀬高麗神など
古唐津の名窯50か所以上を訪ねては土を手に入れ、毎年、土造りに励んできた。
その昔、桃山時代の陶工から顧みられることなく眠っていた土が丸田宗彦の目に留まったのだ。
丁寧に土選りした粘土を造った。
それぞれ試験焼を繰り返しながら、蹴り轆轤や叩きで成形したのだろう。
今年も新たな土肌と釉調を求めて、独自の奥高麗茶碗や粉引唐津、絵斑唐津を開発し、
造形のみならず焼成にも工夫がされて見応え充分な作品が揃えてきた。
作陶40周年記念 丸田宗彦展
会場:しぶや黒田陶苑
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